雨雲、のち晴れ空

創作と日常と

劣等感、決別

 

 SNSは他人の私生活を覗くものだと思う。だから時々、覗き見たものと自分との差を比較して劣等感に襲われる。本当は、知る必要も比べる必要もないことなのに。

 

 派手な生き方にあこがれたことがある。

 例えば、たくさんの友達と毎日のように遊んだり、サークルやバイトのメンバーで旅行したり、オールして飲んでカラオケに行くだとかそういうたぐいのものだ。毎日のように更新されるSNSを覗いて、彼らの日常を羨ましく思った。そして、ただ平凡に生きている自分との差を突きつけられている気がして、この瞬間を無駄にしている気がして、ひどく自分を嫌った。

 

 けれど、不器用すぎる私にはその生き方は難しい。

 平坦な人生を送ってきた自分には、他人の「普通」が眩しく見えてしまう。ときどき眩んで、立ち止まってしまうほどに。

 もちろん派手な人生だけが正解じゃない。何か目的があったり、夢があったり、自分の信念を持って堂々と生きている人はかっこいいと思う。これが自分の人生だ、って割り切れればどんなに良いことだろう。

 私はまだ、軸がブレブレみたいだ。

 目的も夢も信念もないから、はたから見て楽しそうな人生を羨んでしまう。人の人生なんてひとそれぞれだって頭ではわかっているけれど。ぐらぐら、ゆらゆら、ぶらぶらと、幼稚な足取りで人生を歩いている。自分が今どこにいるのかもわからないまま。

 

 それでも、大嫌いな過去の自分よりは前進している。はず。

ずっと囚われていた強い劣等感から抜け出すことができたから。

時々襲われはするけれど、これからも上手く付き合っていくしかないんだろう。